主郭から少し山腹を下らないと見えないのですが、かなり明瞭に残っています。武田流の築城技術には畝状竪堀が含まれるという認識はなく、少し奇妙ではあります。
要害山城は大手から登ると最初は夏草が深くて遺構がよくわかりませんが、主郭からさらに奥の搦手に進むと草が減って見やすくなってきます。石積や堀切も搦手側のほうがよく残っています。
竪堀も大手側よりも搦手側のほうがはっきりと残っています。多くの城で竪堀は浅くなって単なる溝のようになっていますが、これは今でも防御施設として効果がありそうです。
出城の熊城を除くと、城域としては最も奥にある遺構です。
最深部の遺構。堀切がそのまま大きな竪堀になって山腹を下っています。
地元の人でもなかなか行かないという熊城。要害山城の搦手から尾根伝いに回り込み、最初に出くわすのがこの堀切です。いきなり大きく尾根がえぐり取られていてびっくり。さらにロープもなく超えるのが大変で2度びっくり。
結構大きな石が使われています。武田時代の遺構ではないのかもしれませんが、織田や豊臣の支配下の時代には要害山城はともかく、熊城まで修築されたという記録はないようです。
下草がほとんどないのでとても見やすいのですが、やはり畝状竪堀は写真に撮るのが難しい…。
主郭から少し山腹を下らないと見えないのですが、かなり明瞭に残っています。武田流の築城技術には畝状竪堀が含まれるという認識はなく、少し奇妙ではあります。
石積遺構も、実は要害山城本体よりも出城の熊城のほうがよく残っていたりします。
積翠寺方面の登山道より。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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