結構石積を多用している城でした。
搦手側の竪堀です。深く急な竪堀でした、石積で補強されていました。
登城道は史跡に入るまでの道が少し歩きにくかったですが、その後は狭いですが登りやすかったです。
当時のものかわかりませんが、登城道や山の斜面にところどころ石積が見受けられます。
草が伸びていてよくわかりませんが、竪堀や土塁、門跡などにはこのような案内板が立っているので見た気にはなれます。
最初に出会う門跡。この後も本丸までに10か所近く門(虎口)跡があります。 そして多くの門跡は両脇が石積になっており門内はちょっとした枡形になっていました。
曲輪自体は藪化でよくわかりません。
不動曲輪の由来になった不動尊です。 江戸時代に建てられたものだそうです。
不動曲輪と逆側の脇道から行くことができますが、 途中に倒木があるため脇道も結構な藪に、、、井戸のある曲輪にはいれば草は生えていませんでした。
案内板にある通り、井戸の水は枯れていませんでした。
案内板によると要害山城で一番厳重な門だったそうです。
二番目の門の案内板です。
二番目の門跡少し上ったところの曲輪の案内板です。 曲輪自体は御覧の状態です。
石段も当時のものなのでしょうか?
撮影時にメモしていないのでいくつめの門あとなのか、、、 虎口部分を石積で補強しているので虎口がよく残っているようです。
主郭部の門跡の案内板です。
主郭部は土塁で囲まれており結構な広さでした。 ただ、主郭も草が伸びていました。
郭の内側が石積になっていました。
本丸に建っていますが草に埋もれかかっています。
主郭部にて
要害温泉が登城口ですので0.8km・25分と言うことですね。 休み休み、写真とりながらなんでもっと時間かかりましたが。
奥に土塁があり、右側に搦手方面への門跡(虎口)があります。
案内板にあった庭園に用いられた石だと思います。
ここにも石積がみられます。
主郭部から搦手側へ出たところには石垣で固められた堀切があります。
搦手側の竪堀跡です。
搦手側の竪堀です。深く急な竪堀でした、石積で補強されていました。
搦手側も門付近は石積で補強されていました。
搦手側の門も石積で補強されていました。
搦手側の櫓台跡です。石積で補強されている箇所があります。
搦手側の櫓台跡です。石積で補強されている箇所があります。 この先に両竪堀があり搦手側の城域もこのあたりで終わりかなと思い引き返しました。
案内板には 「要害城の東側に設けられた竪堀です。」 と書かれていました。 このあたりで城域も終わりかなと思い引き返しました。
このあたりで搦手側の城域も終わりかなと思い引き返しました。
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