ここから城址へ出発。
番所跡へ行くまでの間柄峠が結構きついです。
最初の見所
浅井氏一族がどのような気持ちで見ていたのか偲ばれます。
今でこそ木々に覆われていますが、当時は開けていい感じだったのでしょう。
広い曲輪ですね
赤尾屋敷跡の奥にひっそり。3年にわたる小谷城攻防戦を偲びました。
赤尾美作守清綱の屋敷があったとされる場所。本丸の東側下段にあり、浅井長政が自刃した地として知られる。赤尾屋敷跡の石碑奥に自刃之地碑が見える。
右手に竹生島が見えます。
噂の大広間跡。すごく広い。
圧巻の切岸
右側が本丸。左側が中丸。
右手にある大岩を割るだけで大変だったでしょう。
奥に低い石垣がありますね。
左手が東側で土塁が高いです。
浅井久政が自刃した地。一度は訪れたい地でしたので感慨深いです。
東側の大石垣を見逃してしまいました。残念。
案内板にあった南側の土段にある石垣か?
このような高所に寺院というのも僧侶も大変です。
曲輪がここにもあるかー。という感じです。
もう少し奥まで探索したかったのですが、折り返しました。
木々でわかりにくいですが、確かに木が真っ直ぐ伸びて居らず、曲がった状態で生えていますね。
ここからの眺望が素晴らしい。もう少しで大嶽というところにあります。
よく開けてます
ようやく到着
大嶽まであと0m
草があってわかりにくいのが残念。
福寿丸北側にある横堀でしょうか?
大嶽から何度も滑りながら到達。
朝倉流築城術の粋ですね。残念ながら雑木や熊笹でわかりにくいです・・・
石碑と案内板。
熊笹を抜けるとこのような状態。右手は山崎丸の南側土塁と思われます。
正面は山崎丸北側曲輪へ行く虎口?
熊笹を分け入ると曲輪が・・・確証はないですが、山崎丸は曲輪を南北にわけていたので、ここは南の曲輪かなと。正面の土塁は曲輪の南側土塁。
おそらく山崎丸南側にあった横堀と思われます。かつてはここに逆茂木があった?
正面の大嶽城址。よくあそこまで上れたと思います。感無量。
前面に大嶽を望む。今回見逃した山王丸大石垣と清水谷方面に次回は行ってみたい。羽柴軍が登った京極丸に通じる水手も見極めたい。
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