東高木家陣屋跡に残る唯一の遺構で、伊勢西街道に面しない壁は、なまこ壁が省略されています。
右が東高木家陣屋跡、左が北高木家陣屋跡です。なお、北高木家陣屋跡の石垣は、孕んでおり崩落の危険があります。
名阪近鉄バス宮バス停の横にあるのが、西高木家陣屋跡の石垣です。
当時は、瓦葺きで庇付きの二階建て櫓がこの上にあったそうです。奥は民家となっており、生垣で塞がれています。
石垣石は、段丘下を流れる牧田川から採取したものと考えられるそうです。石垣の上は、西高木家の私邸です。
西高木家私邸の長屋門として、活用されています。
残念ながら非公開です。明治29年に主屋の改造、縮小が行われ、その後の調査で天保年間に建造された中奥、大奥も向きを変えながら、再利用されていることが判明しております。
上石津郷土資料館の南側にあり、かっては、下屋敷でした。
高木三家の位置関係がとても分かり易いです。
かっての調練場跡は、その後、多良小学校となり、開口部が新たに設けられました。バス通りに面しています。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する