石垣の高さがお分かり頂けますでしょうか。
城代屋敷跡は、発掘調査がなされ、案内板が充実しております。
城代屋敷跡を発掘調査する伊賀市の姿勢に敬意を表します。
伊賀国の城代屋敷ですから、造りが立派です。
石段を登ると城代屋敷跡です。
城代屋敷跡の片隅にあり、ここを登ると石碑を見ることが出来ます。
発掘調査に基づいて綺麗に整備されております。
石垣に歪みが見られるため、立入りが規制されている箇所があります。
表現が面白いです。
昭和10年に造られた木造模擬天守です。
伊賀流忍者博物館が城内にあるためか、外国の方がとても多く見られました。
道路から撮影しました。
僅かですが孕みが見られます。
三重県立上野高等学校内にあるため、道路から撮影しました。一般には非公開です。
何かしら惹かれるものがあります。
城内にあり、戦時中に完成したと知り、驚いております。
白鳳門から本丸に入ったところの石垣は、崩落しておりました。
大阪市内の篤志家による寄付で建築されました。有難いことです。城下町の雰囲気を醸し出しております。
左手は三重県立上野高等学校、右手は伊賀市立上野西小学校です。城内で勉強出来るのは、とても羨ましいです。
崇廣堂と三重県立上野高等学校との間の道を北に進んだ上野高等学校内にあります。未公開です。上野高等学校出身の私の部下は、伊賀上野城に関する武具蔵だとは知りませんでした。日本史の先生、お願いしますよ。
豊臣方との決戦を予想しての高石垣です。
上部は歪みで、所々、隙間が見られます。
南西角部分は、堀下まで降りることが出来ます。
北東角部分も堀下まで降りることが出来ます。
冬なのですが、木々が生い茂り、上手く撮影出来ません。
奥に見えるのが芭蕉翁記念館です。
周りは藪です。
石垣の高さがお分かり頂けますでしょうか。
天守台の北側、西側には栗石が積まれており、これは江戸期に本丸北側の曲輪に集積されていたのですが、いつのまにか現位置に移されたものだそうです。
模擬ですが、周囲に溶け込んでおります。
人が居なくなるまで、結構、待ちました。
とても美しいです。
伊賀市立上野西小学校北側にあります。奥に僅かに見える石垣は、筒井時代のものでしょうか?
かなり埋立てられて、池のように見えます。伊賀市役所の北側にあります。
伊賀市赤坂町304番地にあります。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する