福地氏城
福地氏城

[三重県][伊賀] 三重県伊賀市柘植町


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.19(--位)
  • 見学時間:43分(--位)
  • 攻城人数:154(673位)

福地氏城跡の案内板

福地氏城は、平清盛の末裔の土豪福地氏によって築かれた城です。本丸跡には土塁と空堀が残っています。

福地氏城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

史跡「福地城跡」
 福地城は西に石垣の表門をもち、四方土塁の掻揚式の城である。
本丸内部には、石蔵跡や井戸が残り周囲には、館跡・堀跡が現存する伊賀随一の中世の城跡である。
昭和四十三年三月に県史跡に指定された。

城主は福地伊予守宗隆で、
「満済准后日記」に日置、北村と共に柘植三方と呼ばれ、当地方の国人であった。

 芭蕉翁の先祖は福地氏の一族であるので、この城跡を芭蕉公園と名付け句碑及び生誕碑を建て後世にとどめることにした。
   

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江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

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