夫婦で五年の歳月をかけて広島・下関・九州・四国等の西国への放浪の長旅に出かけ、各地で学者や文人と交流を深めました。
梁川星巌の妻で、安政の大獄では星巌の死後のため代わりに捕らえられますが、半年の投獄後放免されました。
幕末の勤王の漢詩人で、佐久間象山や吉田松陰、頼山陽等と交流がありました。 安政の大獄の三日前に亡くなったため、当時は「星巌の死(詩)に上手」と詠われました。
右手に見える建物が梁川星巌記念館です。
華渓寺境内にあります。
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