長篠城1番の見所は、この高くて急峻な土塁と深くて幅のある堀でしょう。
横矢のかかった土塁が急峻なのが印象的でした。
本丸虎口北側の土塁上から撮影しました。
本丸北東隅のお稲荷さんの周りの土塁は、紅葉で深紅に染まっていました。
本丸北東隅の土塁上にあったお稲荷さんは移設され、赤鳥居だけが残されています。
冬空の青ともみじの紅が印象的でした。
本丸・帯曲輪と、弾正曲輪を隔てる谷沢川。豊川との合流地点は滝になっています。
豊かな水量の不忍の滝。谷沢川は大きな川ではないのですが、どこにこれだけな水量があったの?!というくらい勢いのある滝です。
本丸とその東側の野牛曲輪は、JR飯田線で分断されています。
野牛曲輪と帯曲輪は連結していたのか、いなかったのか?本丸北東隅の土塁と、この野牛曲輪北端の土塁は繋がっていたのか? 繋がっていた方が便利ですね。野牛曲輪側の土塁の現状やその北側の堀跡からすると、帯曲輪とは土橋で繋がっていたと私は思います。 史跡保存館の縄張り図ではなく、立体模型の縄張りの方を採用したい!
町をあげて古戦場跡を観光の目玉にしようとしているのがよく分かります。
本丸脇の長篠城址史跡保存館には、城主だった奥平氏や鳥居強右衛門関連の資料が沢山展示されています。この立体模型…思わず買ってしまいそうでした。
保存館入り口で販売していた立体模型とは、野牛曲輪と帯曲輪の連結部など多少の差異はありますが、この画像を頼りに場内散策してみました。
大きな土塁と深くて幅のある土塁が想像以上で、中世の山城であることを忘れそうになります。逆に武田の猛攻をしのいだのも頷けるというものです。
土橋の両脇の土塁はかなり削られてしまっていますが、土橋前には丸馬出しが設けられていたとのこと。あの高さから狙われたら、攻めにくいわ…
長篠城1番の見所は、この高くて急峻な土塁と深くて幅のある堀でしょう。
時折2両編成の飯田線が通り過ぎます。
踏切を渡り曲輪内へ進むと、本来本丸への虎口があった場所に出ます。曲輪内には廃屋が建っていました。
本丸下の野牛曲輪には飲料水となる水源・殿井があります。現在でもこんこんと水が湧いていました。
宇連川と豊川の合流地点・度合。強右衛門もこの坂を下って豊川へと泳ぎだしていったのでしょうか…。
長篠の古戦場跡にある設楽原歴史資料館。長篠の合戦や幕末のこの地方の殿様(代官)岩瀬忠震についての展示と、おびただしい数の火縄銃が展示の目玉です。その屋上からは、復元された馬防柵が見渡せます。
岩瀬忠震は、この地を治める旗本設楽家に生まれ、岩瀬家に養子に出ました。 幕末の三俊と呼ばれ、小姓番士や徽典館学頭、昌平坂学問所教授を経て目付、外国奉行になった方です。日露和親条約時には全権として交渉にあたり、開国に積極的な方だったようです。 安政の大獄では蟄居を言い渡され、失意のうちに44歳の若さで亡くなられました。大正の世になってからその偉業が認められ、正五位が追贈されました。 島崎藤村の夜明け前にも登場しています。
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