東曲輪の東南隅に、2010年に木造で再建された望楼型二重櫓。この日は、東曲輪南側の広場(菅生曲輪)でイベントをやってました。
この虎口は坂虎口になっていて、虎口までは背後と左側から狙われながら坂を登らなくてはなりません。 …しかし、松の木が邪魔だな…σ^_^;
昭和の復元天守。ずんぐりむっくりなイメージですが、結構遠くからでもよく見える天守です。 …しかし、松の木が邪魔だな…(>人<;)
新旧の石垣、深い堀、空堀と水堀の共演…。この場所好きです!
本丸の北側を守る空堀で、築城者の青海入道の時代からあったそうです。城内で一番深い堀だそうで、反りのない石垣は一度落ちたら当分は上がってからなさそうです…σ^_^;
色づき始めたもみじ。よく考えたら、今年最初のもみじ狩りでした。
東曲輪の東南隅に、2010年に木造で再建された望楼型二重櫓。この日は、東曲輪南側の広場(菅生曲輪)でイベントをやってました。
貫禄の家康公。
持仏堂曲輪の北端の凸部から天守と井戸櫓を撮影。画像左下には、家康公と手家千代君。うん、松の木が邪魔してない!
桑名・九華公園の忠勝さんもカッコイイけど、こっちの忠勝さんも勇ましい!
全国初の市立能楽堂は、檜造りで立派です。この日は地元のジャズミュージシャンの方々が、入れ替わり立ち替わりで演奏してました。 城内でジャズを聴けるなんて、なかなか素敵な体験でした。
龍がとぐろを巻いたかのような龍頭山を改変して築かれた岡崎城。よって山の裾野部分を直線の石垣で覆うと、ギザギザの歯車のような形状になってしまうんですね。
天守下でも思ったのですが、松の木が多過ぎて、天守がなかなか良いアングルで撮影できません。
人の頭大の石を使用した野面積みの石垣。最近の攻城は土のお城が多くって、石垣を見るだけでも楽しいのですよ。
お腹が空いたので、本丸東側にあるタツキ食堂さんで遅い昼食にしました。お茶はサービスですって。
望楼型天守だと、隅棟を重ねて撮影しても、綺麗に重ならないから、あまり美しくないんですね。 ここでも松の木が写り込んでるし…( ̄^ ̄)
思い切って、天守ではなくもみじメインで撮影してみました。
本丸御門前は、辰巳櫓下の石垣と堀、青海堀、天守と見所が凝縮されてますね!
辰巳櫓下の石垣は、反りが全くない高い石垣です。苔むした状態も、荘厳ささえ感じられます。
もともとあった辰巳櫓は、平面がL字型の二階櫓でした。
復元に際しては、図面がなかったため、松山城の野原櫓などの形式を参考にしたそうです。
持仏堂曲輪北側の太鼓門前から天守を撮影。こうして見るとこの天守も、しゅっ、として見えますね。
持仏堂曲輪のベンチには、『そちもワルよのぉ』って言っちゃいそうな家康公がおわします。
クラスで権勢をふるういじめっ子のような竹千代君。こちらも持仏堂曲輪内ベンチにおわします。
地元産の御影石を使った石垣は切り込み接ぎ仕様になっています。
苦虫の家康公。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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