先程三の丸から二の丸への懸け橋上から撮った堀を堀底から撮りました。街路灯で堀の深さがわかると思います。
土橋の両脇には幅広で深い堀と、高い土塁が巡らされてました。
通行人の方と比べると、土塁の高さがわかりますよね。
この堀底も遊歩道として整備されています。あちらこちらに折れが見受けられます。
案内板の左側(駐車場・芝生広場・ちびっこ広場)が道場台跡、中央(自由広場・梅園)が三の丸跡、右側上部(休憩所・花木園・展望台)が二の丸跡、右側下部(芝生広場)が本丸跡です。単純な配置ですが、堀や土塁に工夫がなされて高い防御性があると思います。
三の丸はかなり広い広場になっています。保存状態の良い土塁が、周囲を囲っています。
深さのある空堀で、現在は遊歩道として整備されています。
ここの空堀は掘り幅も狭く、埋まってしまったのかかなり浅くなっていました。
土橋から数メートル南側にもう1つ土橋跡のような畝がありましたが、土橋ではなく障子堀だったのでしょうか?
本城の臼井城とは、印旛沼を船で行き来していたのでしょうね。
先程三の丸から二の丸への懸け橋上から撮った堀を堀底から撮りました。街路灯で堀の深さがわかると思います。
三の丸の東側に土塁の切れている箇所があり、その下の腰曲輪には現在も山麓へと続く階段がありました。往時からの通路なのでしょう。ここから船着き場まで出て印旛沼を渡り、臼井城へ向かっていたかもしれないですね。
印旛沼と城址の間は耕地となっていますが、当時は麓まで沼地だったことでしょうね。
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