麓の居館跡の建物群です。 左から太鼓櫓・表御門・脇櫓が復元、右端の藩校知新館正門は移築です。
2017年の写真と比べて「岐阜県指定史跡」の文字が消され、教育委員会が「恵那市教育員会」に変わっています。
復元された居館跡の建物群です。
居館跡の北東側に復元されている門です。 西向き設けられていますので朝は逆光に。 (登城道も基本、南東向きなので朝は逆光を覚悟しておいてください。)
居館跡に移築されています。
2017年の写真と比べて「岐阜県指定史跡」の文字が消され、教育委員会が「恵那市教育員会」に変わっています。
登城口から800mです。そんなにハードではありませんでした。
登城道の本丸まで600m地点です。
奥のカーブを曲がった先に櫓門であった一ノ門があったようです。
土岐門から畳橋までは土橋状になっていて写真中央の土塁状の高まりが本来の登城ルートになります。高まりの左側は空堀で石垣になっています。 現在は橋は無く、畳橋が架かっていた空堀の堀底を通るルートに改変されています。
現在は登城道になっていますが、ここは空堀跡で左側の石垣から右側の石垣に向けて木橋(畳橋)が架かっていました。
畳橋跡の石垣上から撮影。 左手前の石垣上には追手門がありました。 右手奥の石垣上には天守代用の三重櫓が建っており畳橋を渡り追手門を攻める敵兵に横矢をかける縄張になっていました。 写真の真ん中、三重櫓と追手門の石垣の間にある小さな石垣は畳橋の橋脚を支えていた石垣です。この石垣に向って畳橋は架かっていました。
写真奥の石垣上が本来の登城道で畳橋がここから架かっていました。
現地では建物が残っていないので実感しにくいのですが、追手門跡は畳橋から棟門をくぐった先は八幡曲輪の石垣や追手三重櫓、それに続く追手櫓門で区画された外枡形になっていました。
現地では建物が残っていないので実感しにくいのですが、追手門跡は畳橋から棟門をくぐった先は八幡曲輪の石垣や追手三重櫓、それに続く追手櫓門で区画された外枡形になっていました。
この曲輪の奥から火薬庫→出丸に行ける道があります。
八幡曲輪側から撮影。 曲輪の左奥から火薬庫跡→出丸へ出る道があります。
写真奥に2階建ての櫓があったようです。
八幡曲輪の頂部にある神社です。
一段下がったところに、藪化していましたが碑がありました。
岩村城には17カ所井戸があるそうです。 またこの井戸の後ろに現在道がつけられ、二の丸と本丸の間に出れます。 本来は撮影側に橋櫓があり2階から架かる木橋で二の丸にわたっていたようです。
階段の先には東曲輪櫓門が建っていました。
この階段の上には東曲輪櫓門が建っていました。 左側の石垣上には里櫓が、右側は六段壁になります。
石垣上には城内最大の二重櫓であった里櫓が建っていました。
簡易な門があったようです。
QRコードのみの案内板でここのQRコードは長局から六段壁を見下ろした風景「本丸から橋櫓、ニノ丸を望む」の案内が見れます。
本丸の帯曲輪になります。 左の石垣の上には長局埋門(本丸表門)が建っていました。
東曲輪の下段には里櫓や東曲輪櫓門が建っていました。
長局から六段壁を見下ろした風景です。 左側の林が二ノ丸、通路部分が橋櫓のあった三ノ丸になります。
石垣の上には多聞櫓があったようです。 端の東屋は「昇龍の井戸」です。
QRコードだけの案内板です。(いくつかあります) 写真のものは東口門についての案内です。
長局の東側から本丸への正門です。 桝形のようになっていますが門は一つだけで防御は重要視されていなかったそうです。
本丸東多門櫓脇にある井戸です。 長局に下りる勝手口のような虎口がありました。
本丸から撮影。車でここまで登れます。
本丸には100円を入れることによって案内が聞けるのだろうと思われる装置が。(コイン投入口が塞がれていたので、もうやってないのかもしれません。) 20年以上前に来たときは春日八郎が歌うご当地ソング「あゝ霧ヶ城」が流れてきました。
本丸北西隅の櫓跡にあります。
本丸から撮影。 出丸と谷を挟んだところにあります。
石列のところに多聞櫓が、奥の案内板のところに二重櫓が建っていました。
手前が西多聞櫓跡、奥の北西隅には納戸櫓という二重櫓があったそうです。
本丸と二ノ丸をつなぐ門で櫓門をくぐったあと細いクランクを通って本丸に上がる門です。(写真は本丸上からクランク部分です。ここにも扉が設けられていたそうです。)
納戸櫓跡から
納戸櫓跡から
本丸へ上がる三つの門の一つです。冠木門で木戸とも呼ばれていました。
本丸と二ノ丸をつなぐ門で櫓門をくぐったあと細いクランクを通って本丸に上がる門です。 写真は長局からで左側の細い入口から本丸へ上がれます。 正面の石垣の上には納戸櫓が、右の石垣の上には埋門の櫓門が建っていました。
QRコードのみの案内板でここのQRコードは本丸「棚門」についてです。
本丸と二ノ丸をつなぐ門で櫓門をくぐったあと細いクランクを通って本丸に上がる門です。写真のところに櫓門が建っていました。 ここでは右側の納戸櫓の石垣などには切込接と打込接が使われていて 写真には写っていませんが左側にある石垣は野面積で、三種類の石垣が見ることができるスポットとなっています。
二の丸の真ん中にぽっかり空いた四角い穴。その中央に櫓台のような石垣が、弁財天社がここに建っていたそうです。
二の丸跡は整備されておらず石垣などは埋もれています。
奥に見えるのは本丸の埋門です。
本丸と出丸の間の帯曲輪です。登城道になっています。
現状、出丸の駐車場への道路になっています。 この道路の途中には南曲輪への入口、また東側の帯曲輪があり、六段壁側に回り込むことができます。
道路から入ってすぐです。
土橋が残っていました。 この先が南曲輪の先端だと思いますが整備はされていません。
堀切から竪堀に
本丸下の帯曲輪から火薬庫跡への通路にある石垣です。
最近整備した感じです。
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