模擬天守閣が少し見える、手前はお手洗い。
岐阜公園の入口にある。この像のように、目標を射りながら駆け抜けて行った、織田信長公。
斎藤道三により、今の地に移された伊奈波神社は、元々ここにあった。移された後、この場所は伊奈波神社の摂社、丸山神社として復活して、昭和のはじめまで社殿もあったという。
烏帽子岩が目印だ。
馬の背登山道から山頂を目指す。途中あるという、石垣見たさに。いくつかあるコースの登山道でハードな方。
登山道? ロープで区切ってはあるが、チャートの岩肌が露出してるだけで、道とは名ばかりの……
途中、曲輪のような場所もある。ここがどうかはわからないが、両方の曲輪から、登り攻めてくる敵をはさみうちで撃退する場所もあったらしい。(登山道を登ってる最中に出会った人から教えてもらったこと)
きついが、曲輪や石垣に出会えるコース。
雨が降っているのに、よくここまで…(自分で自分を誉める)
我々はいろんな道から来た。
巨石を使った石垣が両脇に遺っています。
復興模擬天守閣でも、それが我々のよく知るところとなり、慣れ親しまれて文化財になる。
ここは米とか収納する櫓があった場所らしい。現在は櫓を模擬復元した、資料館が建つ。模擬と言えども、古文章にあるデータを元にしている。
模擬天守閣が少し見える、手前はお手洗い。
あの川のどこかで、道三は死んだのか……
信長居館跡の下にあったもの。
人の歴史は上に上に積み重なっていく。
信長居館下の斎藤時代の居館。大阪城のようだ。
信長公居館跡の下から道三の時代の遺構が発見されるとは……
赤い三重の塔の横辺りが滝のある大庭園跡。そしてその横、このたち位置周辺、信長の居館跡遺構
信長の威光を見せつける巨石列。
まだまだ発掘調査中らしく、ビニールシートや、土嚢だらけですが、正しい全貌が明らかになりつつある、いわば生きた遺構として迫ってくるものがあります。
なぜか安土城を思う。
設備が整ってます。人をもてなす為の。
居館跡の門の脇にあります。
岐阜公園は史跡公園なり。
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