恐らく二の丸に相当する曲輪です。この曲輪の南西隅には方形の馬出しがあり、古図で言うところの本丸になります。 確かにこの馬出し、南端の本丸より高い位置にあるのですが、本丸としてはかなり小規模ですので、馬出しと見る方が妥当です。 …しかしあの古図、馬出しの位置がこの曲輪の北東に描かれているところからみても、信憑性ゼロですわ。
時間が足りなくて、本丸内はこんな写真しか撮影してませんでした。 ……焦りは禁物ですね…
巨大な鉄塔が立っていますが、幅・深さともかなり巨大なものです。鉄塔の右側に見えるのが、旧北曲輪。
駐車場西側の曲輪の虎口にあった簡易看板。 ただ、この縄張り図、相当怪しい。本丸の位置が二の丸にあるし、本丸の南側(下側)がいきなり三の丸になってる。堀の配置も現状とはかけ離れているので、古図として見る程度にしておいた方が良いですね。
古図で言うところの本丸。かなり狭い。四阿が立っていますが、これを本丸とみるのは不適です。 その古図を案内に出している小山市観光課の方々、最高した方が良いですよ!
西側の守りは、この思川が鉄壁にしてくれています。風光明媚…とまでは言わないにしても、絶景ポイントだと思います。
この城は、曲輪間の深い堀を土橋ではなく架け橋、もしくは引き橋で繋いでいたのが特徴的ですね。 難攻不落感がパない。
別名祇園城。この朱塗の架け橋は、撮影スポットの代表格ですね。 深ぁい堀も見どころのひとつです。
公孫樹とはイチョウの漢名。 年号は忘れましたが、江戸期には既に古木として名所となっていたそうです。 …昔、落城の際に姫さんが井戸に身を投げたそうな。村人たちはそれを哀れんで、井戸端にイチョウの木を植えたんじゃと。大きく育ったイチョウの木は、姫さんの怨念からか銀杏が実らず、今でも『実なしイチョウ』と呼ばれとるんじゃ。
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