徳川家康の生母・於大は、現在の東浦町・緒川城水野家で生まれた後、松平家と縁戚を結ぶため、松平広忠と結婚させられます。ところが於大の兄水野信元が、今川・松平側から織田側に付くことになり、於大は離縁させられ、この地に一時住んだそうです。(その後於大の方は現在の阿久比町にある坂部城の城主・久松俊勝に嫁ぎます)
亀城小学校にあります。探せば見つかりますが、ぶらっと通って気付くことはないでしょう。
刈谷市郷土資料館敷地内にあります。これまたひっそりと木陰に立ってます。
二の丸から現在の亀城公園内になるようです。それなら大手門跡や三の丸跡の石碑よりわかりやすいかというと、わかりにくい。惜しい。
ガイドしてくださった愛知ウォーキング城巡り倶楽部の七種さんによると、「この中堀が古地図と照らし合わせて、唯一残っている堀」だそうです。
十朋亭とは大正期に士族の会合所として建てられたものです。今も申し込めば使わせてもらえるようですが、この日も前に来たときも、特に予約利用はなかったらしく、閑散とした休憩所になっています。 ジオラマも、刈谷市歴史博物館にもっと大きなものが作られたので、注目度が下降してるのでしょうね。もっと日の目を見させてあげたい。
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