入口から駐車場まで50mほど離合できないので注意してください。
駐車場は広いです、トイレもあります。
春には桜が楽しめます。
入場料、開城時間、休城日の案内です。
(説明) 空堀には木橋が架けられ、事あるときにはここで敵の侵入を防いで戦闘態勢をとったと考えられます。
田峯茶の畑になっています。 (説明) 田峯城の入口近く(表側)にあることから表曲輪と称されています。
(説明) 言い伝えなどに名前の出てこない曲輪のため、このように称されるようになりました。
(説明) 井戸跡もなく、掘っても水の出る地形ではないため、天水を貯える設備があったと考えられます。
(説明) 表曲輪に対して裏手にあることから裏曲輪と称されています。
(説明) 蔵があった場所で、当時この蔵には、食物や武器などが保管されていたと考えられます。
墓地になっています。 (説明) 五代目城主、菅沼定忠とともに長篠合戦に出陣した家老城所道寿の屋敷跡ではないかと考えられます。
(説明) 狭い面積の曲輪であることから、その意を示す畷の字が使われたと考えられます。
本丸側から見れます、中には行けないようです。 (説明) 城主の奥方の屋敷があった場所です。
本丸への入口です、ここをくぐると有料区域になります。
田峯城に関わる戦没者・病没者のための供養塔です。
田峯城に関わる戦没者・病没者のための供養塔です。
中ではイベントの写真などが展示されていました。
本丸に設置されている城址碑です。田峯城ではなく田嶺城になっています。
手前が二の間、奥が上段の間になります
寄贈された甲冑などが展示されています。 (説明) 御殿の中で上座にあたる場所です。正面に二間の大床と一間の棚があり、右手に帳台構(ちょうだいがまえ)、左手に付書院を設けています。
(説明) 縁に張り出した上々段には床と付書院を配し、書斎として使われました。
本丸御殿 上段の間に展示されていました。 左に立てかけてあるのは、袖搦・ヤガラモガラでしょうか
右側が二の間・上段の間、奥が中門、左側が車寄になります。
屏風には花車が描かれています。
(説明) 「式台」とも書き、中世の古語で、人にあいさつするという意味の「しきたい」に由来します。家人の日常の出入口として使われました。
通常は閉ざされいます、イベント時などに開門するようです。
通常は閉ざされいます、イベント時などに開門するようです。
実際に登ることが出来ます。
階段の角度は、約75度です。丸岡城より急です。 (看板) 物見台へ昇られる方へ 土足厳禁です。足元にご注意下さい。小さいお子様はご遠慮下さい。
階段の角度は、約75度です。丸岡城より急です。 下りるときも気をつけてください。
物見台から見える景色の説明です。
物見台から本丸御殿の全体がよく見えます。
(標柱側面の説明) 長篠戦敗戦により発生した田峯城内乱に係る史跡で、主謀者・留守居役の家老今泉道善を初め、処刑した家老方の一部郎党九六人の首をさらして置いた場所。
首塚の前に設置されている案内板です。
首塚への入口付近に設置された石碑です。 石碑の近くに駐車スペースがあります。首塚までは、徒歩5分ほどです。
田峯城内乱において家老今泉道善が処刑された地です。 鋸引きの刑…南無
今泉道善処刑の地に設置された石碑です。
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