2郭(通称:中のダバ)で、説明版と1郭(説明板の裏手の上段)を撮影
北側の畝状竪堀は、散策路が竪堀群を横断するので、見応え十分です。ただ案内板は取れて置かれていました。
仮称北郭群の標識から進み、散策路が荒れてきたところを下った先の郭。
西側ルート登城口近くの少し高くなっている郭。石がゴロゴロしている。
西側ルートの登城口は案内板等はありませんでした。マムシ注意の看板のみ。
近くにあった説明板の内容は以下の通り --- 鏡山城、城主蔵田備中守房信は尼子氏側毛利元就によって攻め入られ大永3年(1523)6月27日これ以上の犠牲を出すのはしのびないと、家臣、家族の助命を条件に切腹落城した。鏡谷神社氏子蔵田一族は、長くこの地に住んでいたが昭和57年(1982)広島大学東広島移転に伴い、現在は御薗宇長者原地区(御薗宇小学校付近)に居住している。 鏡山城跡、鏡谷神社は平成10年史跡に指定された。 ---
鏡山公園側がメイン登城口になると思いますが、南側ルートの登城口にも案内板がありました。左手の階段を登ります。
南側登城口の案内板の縄張り図。2郭や鏡山公園ルートにある案内板の縄張り図には1~5郭が示されているがこの縄張り図にはそれはない。
南側の畝状竪堀は、案内板は散策路にありますが、竪堀はその先となり、色々繁ってきていることもあり、分かりにくくなっていました。
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