お知らせ 詳細
寛正元年の安波賀城戸口合戦で焼失、朝倉孝景により再建され、以後朝倉氏が代々戦勝祈願所とした神社です。かの朝倉宗滴の屋敷はこの神社付近にあったと伝えられています。
朝倉義景夫人小少将の屋敷跡と伝えられている庭園。瀧添石は弘化4年(1847)に供養のため建てられたもので、左から「性安院殿大岫宗淳大居士」(四代孝景)、「長陽院殿天澤宗清大居士」(三代貞景)、そして「月光院殿照葉宗滴大居士」(教景)の法名が朝倉家菩提寺の心月寺和尚によって刻まれています。
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