自然面を残す粗割石を積み上げた割石積み石垣です。明治時代に上部が取り壊されて現状の姿になりましたが、もとの高さは約十二間(約22m)以上ある城内随一の高石垣でした(案内板より)
見事な石垣が青空に映えます
金谷出丸は城の西側に張り出した出丸で、現在の尾山神社の敷地にあたる。いもり堀を挟んで玉泉院丸と接し、鼠多聞橋を渡り行き来していた(案内板より)
自然面を残す粗割石を積み上げた割石積み石垣です。明治時代に上部が取り壊されて現状の姿になりましたが、もとの高さは約十二間(約22m)以上ある城内随一の高石垣でした(案内板より) 見事な石垣が青空に映えます
庭園も見事、赤く色づく街路の樹々も見事
奥に極楽橋が架かる
三の丸広場より
手前を登ると鶴丸倉庫
明治から昭和にかけて、金沢城は旧陸軍の所管となり、軍用施設が設けられました。 このトンネルは、旧陸軍によって弾薬庫が建設された明治から大正期に作られたものとされています(案内板より)
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する