ここに車を停め、攻城する。八王子城址の石碑あり。以前この場所は、大学のグランドであった。
緑の中を歩く。
まずは案内所へ。
こういうのがあるだけで、めちゃめちゃテンション上がる僕って、超単純?
この場所にマッチング。
城山川に沿ってつくられた新道。行きは大手道(古道)、帰りはこの道(新道)、はたまたその逆で……というように道を変えると、また見えてくるものも違うかもよ。ちなみに写真の新道の場所は、途中大手道側に橋を渡って行くことになり、まっすぐ進むと新道。なので必ず通る場所ということになりますが。
御主殿に向かう途中、大手門まで行かない所にある。
大手門に向かう途中のもの。
八王子城入口(駐車場近く)から大手門に向かう道。城山川沿いで、江戸時代につくられた道との事です。古道(大手道)は城山川を挟んで反対方向にありますが!当然ながらもうすぐ先の大手門から繋がっております。
この辺り、城山川沿い、木が林立している事もあり昼間でも独特な雰囲気があるが(これはこの辺りに住んでいた学生時代から感じていたことですが)、八王子城の悲しい出来事と無縁では無さそうです。
発掘現場の写真付きなので、説明板として非常に価値あるものです。それがなければ、想像、妄想するすべがない埋め戻し現場なので。
遺構は全て埋め戻されている。
このぐらい辺りが一番広い馬出しです。
せっかく発掘調査で明らかになったというのに、再び埋め戻された理由は? やる気? 調査費用? はたまた……
ガイドの方に聞かなければ、ここが馬出しだとは気づかないだろう。写真左上に大手道が写ってます。
城山川自体は枯れ川寸前です。圏央道トンネルをつくった為、水源が変わってしまった。
この橋を渡って進むと、大手門、大手道、さらに御主殿に至ります。
川の中から……といってもほとんど枯川状態。
戦時体制は計算されていたのだろうが、充分にそれを発揮できたかというと、とても残念な思いです。
一番奥に大手門跡が写ってます。そこから繋がる大手道も。
馬を揃え、何かあれば、大手門から一気に出陣!
太鼓曲輪尾根から大手道まで、ずっと繋がっている竪堀。
大手門から御主殿に繋がる。
大手門跡から御主殿に向かう途中、ふと振り返る……古道である大手道。
整備以前の写真とか、とても参考になります。八王子城の説明板は、我々が求めているなんたるかを知っているかのようだ。
城山川沿いずっとこの馬出しが点在し、御主殿の曳き橋近くまで続きます。
城山川沿いの所処、用意されたように、顔をのぞかせるスペースが馬出しだったのか……
御主殿に至る大手道の下、城山川の脇に所々ある平な部分は馬出しで、戦時に大手門から馬を一気に出動させられるような状態であったらしい。センターの方に詳しく教えていただきました。写真右側の上の方に古道である大手道、左側城山川、この写真には写ってませんが、城山川のさらに左側の道は江戸時代につくられた道を整備したもので、氏照の時代はなく、城山川オンリーであったとの事です。
こちらは新道とも言おうか。築城当時からある古道、大手道は城山川を挟んで反対側。
説明板があるので、よく理解出来ます。
氏照の思いが対岸にまで伝わって来ます。
古い図が遺されているので、色々わかってきます。
さて、石達は何を語ってくれようぞ。
想像を越える石垣ワールドがそこにはあった。
大手道から、御主殿の石垣はみえていたので、心踊らせながら、曳き橋を渡りきり想像していた以上の石垣ワールドに驚く。
案内板に書かれた事を切実に思う。「よく400年もの間崩れずにいたものだ!」
よく見てください。左側の石垣、埋まっていたままの築城当時の石垣です。時を経てなお語りかけてくる声の震えを、君は感じるか?
400年もの間変わらぬその形は、もはや普遍性を帯びる。
復元とかせず、そのままで……体感する築城当時の空気。
これは復元されてない、そのままの石垣。石たちとの会話もはすむ!
説明板にもあったが、よく400年余りもそのままで遺っていたもので、全国的にも貴重なものだとの事。この石垣先端の少しの場所は補修が入っているそうである。
よく遺ってた!
古地図と照らし合わせたり、色々考察すると、曳き橋は写真奥のところに本来あったのでは?と思うのであります。
大手道から曳き橋を渡り、左手にある石垣達。一番奥に写っている石垣が築城当時のままの石垣です。
御主殿に向かう前のコの字コースの始まり。
北条の夢は幻か……自分の足で歩いてみる。
発掘時の写真が迫ってきます。修復復元前の写真をみると、この場に立っていてもさらなるリアル感に満ちてきます。
要所要所に説明板がありますので、見逃さないように。
安土城を彷彿させる迫力あり!
そこには時空を飛び越える為の、どこでもドアがある。
命の境目の風景は、美しい。
舐めるようにみる。
一段ずつ登る、進む、また登る。
石に関しては、発掘されたもの、そのものを利用している。
各所に説明板があり、ボランティアガイドさん並みの分かりやすさです。ボランティアガイドさんもいらっしゃり、よく学べる八王子城。
オール、ストーン、キャスティング!
全て石達だけの、ストーンワールド!
磐石な設備を施し、青い天にも登るかに見えた北条氏も秀吉の前には……
この石段の高さ、冠木門近くになると少し低くなる。写真右端に大きく櫓門の礎石の一部分が写ってます。
左側は築城当時のままの石垣。後は当時の石垣の石を使って復元とか。
ここは築城当時の積まれた石垣。他の部分も発掘されたそのものの石を積み直し復元したりの部分も多いらしい。
この先左手に石段があります。
氏照が築城の際、安土城を参考にしたという説明、納得出来ます。
石段に至る前のプロムナード。ぞくぞくするほど好きなスペース。
大手道から橋を渡りきった御主殿の石垣。本当にこの場所に橋がかかっていたのか?……という議論もあるようです。
関東の覇者北条氏の力を思い知る遺構です。
櫓か塀があったのか、石段がありし日の威光とその後の年月をかもし出してます。
ちょっとのぞいた石段を見てドキッ。この後石段を真正面に見据えて、超ドキッ! これは、氏照の時代にさかのぼる為の石段。
石垣、石段は発掘された当時のものを使い、忠実に復元したとの説明あり。
発掘以前の写真では石段は確認出来るが、その他は、勢いよく育っている植林された木の中に埋もれて何もわからなかった。それがここまで発掘、復元、整備された事、並み大抵のご苦労ではなかったと思われます。北条の夢をよみがえらせてみせてくれてありがとうございます。そして思いは、その他北条のネットワーク城達、小田原の本城へと繋がれる。
ノーマルな写し方ではないが、この角度だと敷石から土塁まで、関連性をもって見られます。
積み方に妙あり。
ここは防御力というより、もてなしと、力を見せる(魅せる)ストーンワールド。ストーンパワーが満ちている。
真っ直ぐ登っていた石段、曲がるところで、石達が様々な呼応をして、不協和音も出しながら、それが独特な味わいをもった、八王子城御主殿の石段になっています。題には石段としていますが、敷石、石垣、全ての石達による演奏です。
曳きはしから冠木門までコの字を描いたコースです。虎口からは見事な石段を登ることになります。
コの字に石垣の間、石段を通り至る御主殿、氏照の演出も感じてしまう魅せる城。要害の主郭の方面とは違った……全く違った世界を見せつけられた。
上から望んだ為、石段が少ししかみえず。それゆえにか新鮮。
復元ながら、よくやってる。しかも発掘された石を使用しているという。
復元というより、復元予想かもしれないが、この場にあって、いい味を出してます。
冠木門から見下ろしたコの字の最終コーナー。石の見事な饗宴あり。
正式な復元ではないにせよ、雰囲気は抜群です。
地には敷石、門の向こうに土塁が連なる。
当時の門はこうであったか、なかったか?
石がただ並んでいるだけでなく、どのような建物の、また施設の、どこの部分なのか、何も知識なければわかりませぬぞ。
ここにたどり着くまで、幾年費やしたか……過去にすぐ近くで住み、生活してたのだが……その頃はまだ土の中で微かな声をこちらに向けていたに過ぎなかった。その声すら聞こうとする耳があったか……
よくぞここまで発掘なさった。でも、まだまだ土中に遺構が眠っているということです。
建物の礎石等。復元された冠木門が遠くに見える。
様々な遺構、寡黙にて雄弁。
火事で焼けたことまでわかる。
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