都於郡城跡 ”春は花、秋は紅葉に帆をあげて 霧や霞に、浮舟の城” と古歌にもうたわれた都於郡城(標高100m)は 建武2年(1,335)工藤祐経の子孫、伊東祐重が築城しました。以来、天正5年(1,577)までの242年間、伊東氏累代の居城として栄えました。 城は空濠や土塁をめぐらした、中世の典型的な山城で、本丸を中心に、五つの城郭(奥ノ城・ニの丸・三の丸・西の丸・本丸)など七つの山城を構え、のちに佐土原城や宮崎城など日向一円に四十八の城を築きました。 天正遣欧少年使節の正使としてヨーロッパに渡った伊東満所(マンショ)もこの城で生まれています。
大通りから史跡への入口案内。とても目立っていて分かりやすい!
「伊東氏四十八城」 伊東氏の全盛期には、その勢力圏が日向の全地域に及び、都於郡城を本拠として佐土原・宮崎・穂北等の四十八城を支配しました。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する