お知らせ 詳細
北面西側の石垣は、人の頭大の石がほぼ加工もされず使用されています。最初は大きめのぐり石かと思いました。
奥には四阿が見えます。
一休みついでに、中に上がらせてもらいました。円座もありますね。
『襟帯山河好 雄視関八州 古城跡在空 一水尚東流』花袋作 實篤書 …とあります。この景色を見て詠んだのでしょうね。
結構な広さがあり、伝御殿下曲輪と合わせると、下総の小城2つぶんくらいの広さがあります。
北面東側の石垣は、比較的大きな積み石が加工されて使われています。
これで焼酎一升はイケます。こういう模型は、1日見ていても飽きません…。
多分、ホトケノザ。外郭に群生してました。
民家の大きさと比較すると、堀の巨大さがよくわかるかと思います。
ニノ曲輪東側の外郭の土塁上を撮影。資料館のあるあたりまで一直線です。
城の南部を守るための巨大な水堀跡です。
中央の膨らみは、かつての弁天社跡でしょうか?
今回は資料館前に駐車〜資料館で情報収集〜深沢川を渡り大光寺曲輪方面〜大手〜諏訪曲輪〜逸見曲輪〜秩父曲輪〜馬出・城山稲荷〜ニノ曲輪〜御殿下曲輪〜御殿曲輪〜笹曲輪〜搦手橋〜馬出・外郭と、時計回りに一周してみました。
城址の東側を守る天然の内堀となっています。
大手のあった伝逸見曲輪と、外郭の伝大光寺曲輪の間の堀跡。 北条氏の城の堀と土塁にはいつも驚かされます。
大手北西の馬出し跡に鎮座まします。本殿の裏手には土塁と空堀が残っています。
伝逸見曲輪の土塁上から撮影。 ちょうどJR八高線の列車が通り過ぎていきました。
伝逸見曲輪から、伝秩父曲輪への虎口に復元されています。
定番の撮影ポイント。
四脚門の前には、蔀垣が復元されてました。
ちょっと一休みさせてもらいました。
伝秩父曲輪とニノ曲輪間の空堀。 北条氏の堀にしては小さめです。
このあたりが一番トリッキーな縄張りかも知れませんね。
ニノ曲輪西端に鎮座まします。
伝御殿下曲輪から撮影。ものすごい土木工事だったんでしょうね。
オオイヌノフグリ。…つまりわんちゃんの、き×たま(´∀`=) 伝御殿曲輪の下に群生してました。
春でした。
オオイヌノフグリ3連投! 緑の下草にうっすらと青が映えていました。
川面からの高さは、どれくらいあるのでしょうか…
伝御殿曲輪は南北2つに分かれています。その分かれ目の空堀。 西の崖へと向かって竪堀になっています。 この北側は馬出しのような空間だったのかもしれませんね。
北面西側の石垣は、人の頭大の石がほぼ加工もされず使用されています。最初は大きめのぐり石かと思いました。
搦手橋の上から撮影しました。
今の橋に架け替えになる前は、車が一台通れるほどの幅で、揺れも激しかったそうです。 落ちたら天然の内堀・深沢川に真っ逆さま…。 この石碑の手前の御宅のご主人に色々お話を聞けました。
搦手橋東詰にある馬頭観世音塚。鉢形城祭発祥の地の碑も建っています。 寄進者のお名前が錚々たる面々で、驚きました。
塚の境界線の石柱には、児玉党の末裔の方や、伝逸見曲輪の逸見若狭守のご子孫、北条氏邦の奥さん・大福御前のご実家の末裔の方など、錚々たる名前が連なっていました。
側溝とこの小道は、堀の名残だと思われます。
この馬出やその周辺は私有地・宅地になっていますが、堀と土塁の痕跡はしっかりと残っていました。
伝御殿下曲輪とほぼ同じ大きさを持つ外郭。
梅が咲いていました。その向こうには折れのない、一直線の土塁が見えます。
外郭にて。
ここの資料館の復元櫓門とジオラマは秀逸です。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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