お知らせ
韮山城のすぐ近く(韮山城から歩いて800m、江川邸から車で1.4㎞)に源頼朝が流された蛭ヶ小島があります。
江川邸の裏山は韮山城の東を防衛する江川砦になっています。 表門は元禄9年(1696年)に建てられ、文政6年(1823年)に修復された薬医門です。
韮山城のすぐ近く(韮山城から歩いて800m、江川邸から車で1.4㎞)に源頼朝が流された蛭ヶ小島があります。
韮山代官江川氏の36代「江川英龍」の建言によって造られた反射炉。こちらも韮山城からすぐ(江川邸から3.3㎞)ですので見学してきました。
少し歩きますがここの駐車場が便利だと思います。
こちらで城のパンフレットを入手したり復元模型を見たりできたのですが今月末(2017年5月)に閉館してしまうそうです。閉館後は市立中央図書館2階に展示品を移すようです。
こちら側からの登城になります
堀底の搦め手道を上ると三ノ丸に出ます。
櫓台のような一段高い場所がありました。
韮山城からも富士山が綺麗に見えました。
郷土史料館のもの
裏門の門扉には江川砦の一角として小田原攻めの時に攻められた時につけられた弾丸や矢尻の跡が残っています。
三ノ丸の土塁はかなり高いものでした。
三ノ丸はテニスコートになっており当日もテニスの練習をしていました。
堀切部が入り口になっています。
中央の坂を上れば二ノ丸、右の道を下れば御座敷跡の高校のグランドに出ます。 また左の堀切を進めば城池の方に下りられます。
東側に土塁が続いています。
本丸から南に行くと土塁で囲まれて方形の小さな曲輪があり塩蔵と伝わっています。
現在は高校になっています。
主屋は1600年ごろ建てられたもので、部分的には室町時代のものもあるようです。 また写真右側に枝が写ってる”きささげ”は北条早雲が植えたという言い伝えがあります。
主屋の50坪もある土間です。
江川邸も含めその裏山は江川砦として韮山城の東を守っていました。
幕末に建てられた鉄砲や火薬などを保管していた蔵
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