柳城中学校・柳川高校間の道の入口にあり。天守跡と思われる小丘には、写真中央の植え込みから左に入っていく
縄張図からは、ここが天守跡だと思われます
中学校と城址小丘を遮るものはないが、不審侵入者と思われぬよう、中学校の敷地には下りずに撮影
柳川の礎を築いた田中吉政公に見守られ、どんこ舟がゆっくりと進んでいきました
船頭さんの巧みな竿さばきで弥兵衛門橋をくぐっていくどんこ舟。弥兵衛門跡の石碑はこの橋のそばに建っています
本丸・二の丸を取り囲んでいた内堀はあまり残っていないが、その四隅には石碑が建てられている。右手建物は柳川高校
天守の写真で現存するのは、この1枚だけらしい
何の発掘か分かりませんでしたが、縄張図では北三の丸付近
田中吉政は天文17年(1548)近江国(滋賀県)に生まれました。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、天正18年(1590)、5万7千石余の岡崎城主となり、のちに加増され10万石の大名となりました。慶長5年(1600)関ヶ原の戦では東軍に組し、敵将石田三成を捕らえた功績により、筑後一円の国主となり、柳川城を居城としました。 田中吉政は、天守閣の築造など柳川城の整備や各支城の強化、筑後川・矢部川の治水事業、本土居の築堤をはじめとする干拓事業、道路の新設・整備などの土木事業に業績を残しましたが、慶長14年(1609)2月18日、江戸参勤の途中、伏見で客死しました。享年62歳で、京都の黒谷に葬られたとされています。(案内板より)
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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