途中から天竜川までの竪堀に
武田軍が二俣城の水の手を断つために上流から筏を流して井戸櫓の脚柱を破壊したという話が残っています。
かつて二俣川は流れていた場所は住宅街になっています。
大河影響でつくられたと思う案内板。 ちょっと無理がある気が
蔵屋敷方面は立ち入りできないようです。 ここから西曲輪、水の手曲輪、そして鳥羽山城へ行くことができます。
かつては二俣川と天竜川との合流地点に井戸櫓が建ち、二俣川を挟んで鳥羽山城がありましたが現在は二俣川の流れは変わり、かつての合流地点には堤防がつくられ歩いて鳥羽山城に行けます。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する