本来は三の丸南東隅に建っていた御三階櫓。復興にあたり諏訪曲輪跡地に建てられました。
松戸から高速代をケチって下道で行田市へ。途中、石田堤を見るべく立ち寄りました。古墳群が整備保存されていて、とても気持ちの良い公園でした。ここの石田堤は高さがなくて、ちょっと驚きましたが…
参道のような石田堤。時間がなくてしっかり見て回れませんでしたが、古墳群が潰されていないのは、三成が古墳の盛り土を使用せず、堤を築いたからなんでしょうね。三成の人柄が表れていると思いました。
画像中央に御三階櫓が見えます。三成だけでなく、謙信もこの古墳から忍城を眺めていたそうです。湿地帯の忍城は見渡しが効いたんでしょうね。
資料館駐車場から徒歩2、3分。近くて美味しいお店です。地元の方がたくさんいらっしゃってました。値段も安い!
現在の諏訪神社・東照宮のあたりが諏訪曲輪だった場所。東照宮の西側と諏訪神社の北側には当時の水堀の痕跡が残っています。画像は東照宮西側の堀跡。ちょうど、かねつき堂さんへ向かう時に右手に見えます。
土塁前の道路はかつて水堀だったところです。
資料館一帯は、旧本丸とそれを東から北へと囲む諏訪曲輪間の堀を埋めて造成されています。この堀跡の通路は、ちょうど本丸南側にあたる場所です。
本来は三の丸南東隅に建っていた御三階櫓。復興にあたり諏訪曲輪跡地に建てられました。
久々に建造物のある城址に来たので、嬉しくって何度も写真撮ってました…「ストレージがいっぱいです」と表示されました……。
二の丸にあった鐘楼。のちに諏訪曲輪、本丸へと移築された後、現在の位置に建てられたそうです。鐘楼の鐘は、松平なんとかさんが玉突き移封された時に、桑名から持参したそうです。現在の鐘楼の鐘は1992年に鋳造されたもので、本物は資料館内にあります。
帰りしなに気づいたのですが、資料館西側駐車場に、忍城本丸跡碑がひっそりと佇んでいました。
忍城攻城後に皿尾城を攻め、騎西城に向かう途中で見つけました。忍川の西岸・城下の東北隅に位置し、長野口御門が設けられていたそうです。 現在は道路脇に小さな公園として整備され、長野口御門の石碑と案内板が建てられています。
大駐車場や資料館も完備、家族連れや犬の散歩やジョギングする人達で賑わってました。時間があれば隈なく散策したくなる公園でした。
前方後円墳左手が稲荷山古墳、右手が将軍山古墳。秋晴れに秋の草木の色が綺麗に映えてました。
こんなこともあろうかと、デジカメを持参しましたが、久々に使うデジカメは壊れていて全くピントが合わない!結局、スマホの最大ズームで撮影しました… _| ̄|○
半日ここでのんびりするのも良いかもしれない。
資料館北側の東照宮、その北西にあるかねつき堂さん。ここで行田名物・行田フライとゼリーフライを食べました。案内所も兼ねており、マップなどもここで手に入ります。
駐車場の南側、堀跡へ通じる道の途中にあります。この西側には当時の土塁がしっかりと残っています。
伝藩校進修館高麗門脇には、当時の土塁(画像、門の奥)が残っています。
空の青と、雲と白亜の櫓の白のコントラストが美しかった!
忍城御三階櫓。模擬櫓と侮っていましたが、なかなかどーして。この街に馴染んで、外せない風景の一部になっている感じがしました。
太陽は13:30でこの位置。訪れたのは10月末ですから当たり前といえばそれまでですが、今年の残暑はながかった。
天守内部は、資料館と接続されており、展示室と展望台を兼務してました。なかなか見ごたえのある資料館! そうそう、一部の草木は色付き始めてました。秋晴れは清々しくって良いなぁ…。
もう一月遅い時期だと、紅葉ももっと赤かったでしょうね。
有志がチャンバラ…じゃなくって、演武パフォーマンスを披露してます。間が悪くって、始まった頃には天守最上層にいて、観覧できませんでしたが… (; ̄ェ ̄)
読み応えのある説明文と、現在地図に重ねた縄張り図が、良いですね。 この地図を先に入手していたら、も少し城下町探訪ができたかもしれません。
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