各案内板にQRコードがあり音声案内を聞くことができました。(携帯の電池ががんがん減りましたが)
冠木門からF郭の間の登城道です。両側の尾根は堀切で遮断されていました。
馬之背ゴの尾根の堀切が大手口側まで続いており、さらに反対側の尾根、見えませんがさらに次の尾根と、増山城の北側には堀切のラインが形成されているそうです。
馬之背ゴの尾根から始まる堀切が大手口を挟んで写真の尾根、見えませんがさらに次の尾根と、増山城の北側には堀切のラインが形成されているそうです。
馬之背ゴは大手口、七曲りを見下ろす尾根にあるL字の曲輪で大きな土塁があります。
馬之背ゴの尾根の堀切が大手口側まで続いており、さらに反対側の尾根、見えませんがさらに次の尾根と、増山城の北側には堀切のラインが形成されているそうです。
正面が一ノ丸の切岸です。右側は馬之背ゴの土塁になります。
石垣跡の看板付近で石が露出してる場所はここだけのようでした。
一段上の曲輪が一ノ丸です。増山城では大手に近い方の曲輪から一ノ丸、二ノ丸、三ノ丸と命名されていて本丸は二ノ丸になると考えられています。
自分の写真よりほかの人の写真の方がわかりやすいのですが、田んぼの左端の高まりが城下町の土塁跡です。
無常と堀切で隔てられぽつんと孤立している極小の曲輪です。 一応登れます。
南櫓台も極小の曲輪です。この横に畝状竪堀があるようですがわかりにくかったです。
鐘搗堂同様に孤立した狭い曲輪になります。
南櫓台の下に竪堀が2本、さらに北側斜面に畝状竪堀があるのですがわかりづらかったです。
両脇に土塁が残っています。
虎口脇には土塁(櫓台?)が残っています。
昇太師匠の解説によると五重塔の心柱の基礎を運んだもので旗差し石に使用していたのではと言うことですが確証はないようです。
安室屋敷への階段が印象的
鐘楼堂跡に風鈴サイズの鐘が
土塁の下は馬洗池になります。
手前が二ノ丸(鐘楼堂)、奥が安室屋敷、右側が三ノ丸になります。 広く深い空堀で隔てられています。
空堀の一角が池になっているようです。
安室屋敷に転がっていました。昔は安室屋敷が本丸だと考えられていたのでしょうか?
東側に土塁が残っています。
安室屋敷の土塁上から。左端に空堀を挟んで三ノ丸が見えています。
こちらは未整備でした。
ここで空堀が二股に分かれています。写真で見切れている右側が亀山城方面へ向かう道になっています。
整備されていないようで看板などは見つけられませんでした。
井戸跡はハイキングコースわきにあります。
亀山城側からの登山口付近に建っていましたが、どこを指しているのかわからず。
撮影側が増山城への登山口、道を挟んで反対側に亀山城への登山口があります。 舗装道を下ると増山陣屋に戻れます。
消えかかっていますが亀山城側の登山口に建っています。昇太師匠の案内は法花坊峠遺跡についてでした。
亀山城側の登山口にあります。
けっこう急です。
増山大橋付近にあります。
土塁の右側に空堀があったようです。
増山大橋を渡ったところに登り口があります。 こちらにはクマ出没注意の看板がありました。
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