道路脇に立っている説明板付近が入口です。
蒲生領主時代の慶長年間に城を二分し、二人の城代が任命され、東方を松森館と称した。この館には追手門がなかったため南側に移築し、「鉄砲谷」と名付けた。出陣時に用いる鉄砲などを、この門に具備したためと思われる。(石碑に記載されている文章を流用)
三ノ丸御殿跡の東側にあったそうです。発掘調査で階段石が出てきたそうです。
道路脇に立っている説明板付近が入口です。
つづら折れになっています
写真中央付近が堀切です
お盆前から準備しているんですね。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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