本丸と二の丸の間の水堀です。
左が鐘撞堂前御堀(水堀)、右側が御囲御蔵前御堀(現状空堀)、奥の土塁が御台所前御門です。
現状は空堀ですがかつては途中から水堀だったもようです。
本丸北東端にあたります。 眺望が開けています。
本丸下の駐車場になってる場所はかつて水堀だったようです。 その先の段上は二の丸の東側で御囲穀御蔵が建っていたそうです。 城が断崖上にあったことが良くわかります。
本丸にありました。
復元櫓門です。
1995年復元
階段を下りて写真右端が早坂御門跡になります。(左側は濠跡だと思われます。) 現在は登城道であった早坂とその奥にあった濠跡を繋げて花巻小学校への通学路になっています。ですので平日の7~18時は車両通行禁止になっています。
本丸の西側、西御門の先にある堀や崖に四方囲まれた一角です。 馬出だったようです。
本丸の西側、西御門の先にある堀や崖に四方囲まれた一角です。 馬出だったようです。
御長屋跡から堀を挟んで
」形に本丸を囲っています。
二の丸と長屋(馬出)との間には鍵御堀があり隔てられていました。
長屋(馬出)跡を囲むように¬字に掘られていました。 現在北側は道路になっています。
二の丸内にあった御役屋跡の碑です。 二の丸は現在花巻小学校の校庭や武徳殿、幼稚園になっています。 小学校校舎と校庭の間の道を歩いて行きましたが、平日登校日だと不審者になりそうでした。
宮沢賢治の象徴の帽子と外套のオブジェ付きの賢治と花巻城との関係に関する案内板です。
このあたりにあったのだと思われます。
二の丸の年貢米を保管していた蔵跡です。
二の丸と三の丸を隔てていた水堀跡です。現在は道路や駐車場・住宅になっています。奥の茂みが二の丸の土塁です。
かつては二の丸の東御門から土橋が三の丸までつながっており濠を薬研堀・臼堀と東西に分けていた模様。 写真は土橋跡の坂の上が東御門、土橋の左側の空き地が薬研堀跡、右側の民家のある側が臼堀跡です。
民家などになっています。
二の丸と三の丸の間にある臼堀の南側にあり東側からの登城口になっていた門です。南方向の車道をあがると三の丸跡、移築現存の円城寺門があります。
三の丸の円城寺門付近の一角が公園になっていました。 案内板などがあります。
円城寺門付近の公園にて
三の丸の公園から下の公園は観音寺の跡です。 この観音寺付近の上堀と下堀の間に虎口がありその虎口から三之丸へ登ったところにあった門が円城寺門になります。 結構な高低差があることがわかります。
移築現存の門です。さほど元の位置から移動してません。
もともとは江戸時代、盛岡城用としてつくられましたが音量不足ということで花巻城で再利用させることになったそうです。 二の丸にありましたが現在市役所、大手門跡付近に置かれています。
市役所前です。
市役所前になります。
市役所駐車場にあるものです。
宮沢賢治の象徴の帽子と外套のオブジェ付きの賢治と花巻城との関係に関する案内板です。
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