この堀を築くことで城郭が浮島のような状態としたようです。
加藤清正指導の城郭。扇の勾配が美しい。
この堀を築くことで城郭が浮島のような状態としたようです。
防波堤(渡戸石)を築いて船の係留場所としていました。(日本の城22より)
朝7時頃。奥の大村湾がすぐ近くにあります。朝鮮の役に参戦した際の順天倭城を意識した造りだとか・・・。
ここに米蔵を建て、船の発着にも利用していました。
荷物と騎馬兵の通行用と歩行専用とに分けられていました。中央は長堀跡で花菖蒲が6月に見ごろです。
石垣もなかなかです。
板敷櫓を曲輪内から見ようと登ると、空堀跡がありました。二の丸と三の丸を区切ったようです。
城内で最も複雑な虎口
本丸に入る3つの門の1つで本丸西側に位置。本丸内から撮影。ここも桝形
写真右手にすすむと台所口門に至ります。
厳重な桝形です
右手に見えるのは玖島崎古墳。城址西側を歩くと大村湾のさざなみがよく聞こえました。
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