本丸や釣井の段へ続く道と中の丸を仕切るように土塁があった。
ここの郭には土塁(写真の右の方)がありかなり広く、登城道を見下ろせるようになっていた。当時は番所の建物があったのかもしれない。
写真中央右のあたりは庭っぽく整えられている気がした。ここで毛利元就の7回忌が行われたと思うとテンションあがります。
ここの石段で道は直角に曲がっており中の丸から下の道を見下ろせるようになっている。
石がごろごろと転がっている。ここから三原城へ持っていかれたのだろうか。
対岸の高山城跡。ほぼ新高山城と同じ高さ。
かなりの広さ。井戸が多数あり、石垣が道の両脇にまっすぐひかれていた。屋敷があったのだろう。
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