奥の鬱蒼としたところは古城
奥の鬱蒼としたところは古城
説明板の内容は以下の通り。 --- 知念大川(ちねんうっかー) 知念大川の水源地は後ろの崖下にある「ウファカル」と呼ばれる湧泉で、『中山世鑑(ちゅうざんせいかん)』(1650年)には「アマミキヨが知念大川後ろの田と玉城の受水走水(うきんじゅはいんじゅ)に稲を蒔(ま)いた」と記されています。このことから、知念大川は琉球国王が自ら参拝する聖地とされ、現在の東御廻りに受け継がれています。 “東御廻り(あがりうまーい)”の由来 「東御廻り」とは、沖縄民族の祖先<アマミキヨ族>が住み着いたと伝えられる知念・玉城の聖地巡礼行事です。首里城を中心に、大里・佐敷・知念・玉城を「東方(あがりかた)」と呼んだことから、知念・玉城の聖地巡礼を「東御廻り」と称しました。 久高島は麦の発祥地、玉城は稲の発祥地として国王自ら参詣しました。 文化財を大切にしましょう。 南城市教育委員会
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