礎石15個と礎石痕7ヶ所の分布範囲は、南北 約10m、東西 約8m。
それぞれが、およそ1間(196cm)ごとの間隔で並んでいるそうです。
なので、御殿の面積は、約80㎡だったと推測されています。
広角レンズで撮ったので内側の石垣も強調されています。 蹴上が高い石段を、一段ずつ登っていくワクワク感、たまりません。
白いヒモ印線の内側に、本丸御殿が建っていたと考えられています。 画面上部にある石積みは、現・若宮神社の祠です。
本丸御殿跡の説明会が、この石垣上の奥で行われました。 鋭い質問をなさる、歴史好きの方々もいらっしゃいまして、 私も思わず「あっぱれ!」と、言いそうになりました。
礎石15個と礎石痕7ヶ所の分布範囲は、南北 約10m、東西 約8m。 それぞれが、およそ1間(196cm)ごとの間隔で並んでいるそうです。 なので、御殿の面積は、約80㎡だったと推測されています。
瓦は見つからなかったので、本丸御殿の屋根は板ぶきで、壁は土壁だったと推測されています。
出土した層の状況から、17世紀に近い頃に御殿の予定地を土砂で平らに造成する際に、 16世紀産の土器が混ざったと推定されるそうです。 つまり、御殿の炊事で使われたものではないから、 土器の生産時期と本丸御殿の建築時期には数十年の間隔があるそうです。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する