飯山市の調査だと、南大手門の可能性が高いそうです。1906年(明治39年)6月に起こった放火までは二階建ての門だったようです。
まだ街灯が点いていました。飯山市の調査だと南中門、西館門のどちらかの可能性が高いそうです。
飯山市の遺構に関する史料だと現存している遺構だそうです。
東側は三の丸の切岸(写真左)で、通路を挟んで西側の土塁(右側)は現存している遺構だそうです。
当時はもっと垂直に近かったそうです。
現存している石垣で、『梅鉢積み』という積み方をしています。なので、よく見ると、角石以外のどの石垣を中心にしても梅の花の形をしています。おそらくこの積み方をしている城跡はここだけかと思います。
駐車場の石垣は当時の遺構ではないので、注意して下さい。観光バスも停めれる位大きい駐車場です。
中野市にある鈴泉寺の山門で、飯山市の調査で飯山城の城門だということが判っています。
飯山市の調査だと南中門、本丸門、二の丸門、西館門のいずれかだそうです。 写真左を見るとわかりますが、かなり濃い霧が出ていました。
長野市田子にあり、明治天皇田子御小休所跡の門で、飯山市の調査だと南中門、本丸門、二の丸門、西館門のいずれかだそうです。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する