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夕闇が迫っていたため、天守全体が橙がかっています。
池田忠雄が1620年代に築いた石垣で、搦め手の廊下門脇を守る小納戸櫓が上に建っていた。一帯の石垣の石材は犬島(岡山市犬島)から運ばれたとみられる割石で、「+」や「L」形などの刻印を持つものがある。 岡山市教育委員会
大納戸櫓跡(おおなんどやぐらあと) 本丸内で一番大きな3階建ての櫓があった。小早川秀秋が沼城(岡山市東区沼)の中心櫓をここに移築したものと伝えられる。明治の廃城後取り壊された。 The Site Onando Yagura(Turret with a large warehouse) Here once stood the biggest 3-story turret in the Honmaru.The turret is said to have been relocated from Numa Castle once located in Numa,Higashi-ku,Okayama City,by Hideaki Kobayakawa.It was demolished after the abolishment of castles in the Meiji era.
【なぜ、ここに石垣が】 江戸時代の初めに城を改造する時に、この石垣を埋め込んで「中の段」を北に大きく広げたからです。平成5年度の発掘調査で見つかりました。石垣は展示施設の壁を越えて続き、本来の裾は床下に埋もれています。拡張後の中の段には「表書院(おもてしょいん)」の御殿が建てられ、この場所の真上は台所になりました。 【いつ築かれたか】 今から400年あまり前、宇喜多秀家が岡山城を築いた時の石垣です。自然の石をほとんど加工せずに用いるのが特徴で、30年ほど後に積まれた中の段北側の現役の石垣が新式の割り石を使っているのと異なります。 【角が尖(とが)った珍しい石垣】 石垣の辺と辺がなす角度は70度です。これほど角が尖(とが)った石垣は全国的にみて非常に珍しいものです。石垣の東は当時の「下の段」から「中の段」に上がる道筋となり、廊下門の前身となる城門がありました。南西からの石垣は裏に埋め込まれている自然の丘の形に沿って延びているのに対し、門前をきっちり南北方向に切り通したため、特異な石垣の隅が生じたのでしょう。
夕闇が迫っていたため、天守全体が橙がかっています。
天守内から撮影しました。
冬の夕闇のために天守が黄金に光っているように感じます。
発掘された石垣が展示されています。
戦災に遭わなかった唯一の建物です。国指定重要文化財。
廊下門より東側から撮影。不等辺五角形の石垣がよりわかりやすい位置ですね。
発掘された石垣です。
本丸の大手(おおて)を守る要(かなめ)となる三重四階建ての城内最大の櫓でした。一階の平面は長辺20m、短辺10mで、壁には黒い下見板(いたみいた)が張られており、藩政のための書類や道具類が保管されていました。
冬の夕闇迫る状況だったので、夕焼けが反射しています。
小早川期の石垣と言われています。
立派な石垣です。
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