お知らせ 詳細
この付近の石垣は1908年に路面電車を通すために取り除かれたとの事。
明治時代に道路を作るため堀幅なども狭くなり、お城の規模が縮小されたようです。
この付近の石垣は1908年に路面電車を通すために取り除かれたとの事。 明治時代に道路を作るため堀幅なども狭くなり、お城の規模が縮小されたようです。
約2Km離れた北島橋上から 現在は周りに高い建物がありますが、昔は遠く離れたところからで、はっきりと見え、和歌山のシンボルだったのでしょう
この付近の石垣は立ち入り禁止になっておらず上ることができます。 柵がないのでご注意ください。
かなり高さがあります。 この付近は柵があるので安全です。
紀州藩初代頼宜公がここから紀州富士(龍門山)を眺め、故郷の駿河を偲んだとか。 高さが最大で23mあるようです。
この土塀は岡口門横の土塀で現存のもののようです。
連立式天守の威容がうかがえます。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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