お知らせ
この場所は古地図によると、馬場である。当時の船着き場もあったとか。
犬山城の駐車場に車を停めて、木曽川にかかっている橋を渡り城をみる。健脚の方は本丸、天守閣だけではなく、ぜひ木曽川の方に行ってみて下さい。突然雨に降られても今日の僕のようにご褒美がもらえるかもしれませんよ! 雨に降られた後、犬山城と木曽川に虹の橋がかかりました
建物は成瀬家の私的な建築物なのか? 樅の丸のこの位置には建築物はないはず。蔵が三棟ほどあった場所には謎の建物がある。
松の丸門手前から望む。
城の防御の上、最重要部分のうちの一つと思われる、このあたり。
本来ならば、写真中央に屏風櫓がみえてる……そんな位置関係です。
黒門があった道具櫓前から、本丸鉄門跡辺りを望む。一直線の登り階段。登り始め両側の石垣には塀が建ち、写真手前の看板右側の石垣は御成櫓、左側はずーっと塀、後ろの看板辺りが岩坂門跡、そのすぐ左が小銃櫓(現在復元された櫓が存在) 一番奥、少し左にずれて鉄門跡、本丸の正門になります。
杉の丸の隅櫓跡。現在神社の背面の隅として風景になっているだけで、その前辺りとか雑然としたイメージさえあるのだが、少しずつでも変わるといいなと思います。元の姿に……
本丸に向かう登り階段の登り始め右側にありますが、この櫓は二の丸(杉の丸)の隅櫓であります。
二の丸の樅の丸の隅の櫓であり、本丸の隅櫓と隅櫓の間に三角形の本丸突端として位置する小銃櫓の石垣は、そのようなかたちをしてるのに納得です。
本丸の正門です。入城は4時半までなので、これまで何回もギリギリで入れなかった。皆さんもご注意を。やはり、本丸はじっくりみたいものですな。しかも、閉店がらがらでは、本丸に入る事すら出来ない……
小ぶりながら落ち着いた風貌。けっこうこれが各地模擬天守閣の参考にされるらしい。
いつまでもみていたく、去りがたし、石の饗宴。石は集まるとハーモニーを生み出し、別物になる。
本丸の搦手にあたるのであろうか? 木曽川に向かって七曲道が続いていたと聞くが、今はここからの出入りはできない。
犬山城切岸ぎりぎりに設けられた、七曲門の石垣がわかる位置にて、それを望む。黒い柵の向こうは崖っぷち。
用の為作り出されたものも、その用ゆえに美しい。
影が伸びてきて、木々の葉っぱの透けたような色も変化する、しかも石垣の表情さえも変わる、みてて飽きない秋の七曲門ステージ。
なんだか、石の色が美しく感じます。
ほら、構成石の一つひとつがかわいい。
この門につながっていた七曲道は今どうなっているのだろう? 紅葉の美しい門の跡の石垣をみながら、ふと紅葉の七曲道を歩いている自分を想像する。
七曲道に続く兆しが、石段の最下部の左右の違いに現れていると思いませんか? 左に曲がっていくぞ!という意志を強く感じます。現に七曲道はそのようにつながっています。
大きめで角がしっかりと加工してある石、石段、石段の向こうに櫓門の天守閣側の石垣。一つの櫓門にも用途等の条件により、様々なかたちになって、幾百年。
こちらの石段は、七曲門跡、多聞櫓跡の石垣、その他の場所の石段と比べて、明らかに、丸みを帯びた石を使っているように見受けられます。何か意図があるのか?
天守閣に向かって右の七曲門からの多聞櫓のように、ここにも櫓があったのか。どんな櫓だったのであろう?
犬山城は失われた櫓を全部復元したいと思うが、なぜだろう? 石垣、石段、それはそれでとてもいい味を出しているのだが、それを味わうだけではいけないような気がなぜかする、ここ犬山城。
微妙な様々な色の石達、実に味わい深いものです。
必要な事のためには、目をつむらなければならない時期もある。ずっと後世まで残していくべき、我が国の……いや人類の宝だから。
やはり、どの入口であろうと、門は大切だな。しかもこの鉄門は本丸の正面の門。裏の門は七曲門。この2つしか本丸の出入口はない。
今年、秋になる前にぜひ本丸に入りたい! この写真は昨年の秋の風景。
昨年の秋の写真。今年も赤く燃えるような風景を期待しながら、今の時期は今でしかない空気を吸おう。
木曽川と共に……
眼下に鉄門、小銃櫓等が見えている。二の丸も一部望める。
天守閣の中から望む。成瀬家の家紋が並んでいます。
天守閣越しの眺望は格別。
ここからは、岐阜城も小牧山城もしっかりみえた。天守閣のシルエットもしっかり。 近くの木曽川とその脇の山(伊木山城址)……美しい!
他のところの積み方と少し違います。他のところ……荒々しささえ感じる野面積みが多い。 しかしここは、整然として静寂をさえ感じる。
本丸に向かって、鉄門の右側の石垣。写真右端の辺りに本丸隅櫓である大砲櫓があった。
明らかに石積みの仕方が違うので、比較が面白い。よくわかる。
犬山城の各隅櫓、小銃櫓とか大砲櫓とか、まさに戦う為の城ならではの名称だなぁ。
岩坂門を守る小銃櫓。ここに何回……何百回か……秋が訪れたのか?
二の丸である杉の丸の隅櫓、御成櫓から続く石垣。岩坂門跡に続きます。
野面積みの素朴な石垣……というか、鉄門脇の石垣をみた後だと、正直、雑とも思えてしまうけど、濃尾地震とかも生き残ったならば、一見と異なる強い石垣なのかもしれない。
犬山城の二の丸は3曲輪あり、それぞれ木の名前がつけられてます。桐の丸、杉の丸、そしてこの石垣の樅の丸。樅はもみと読むこと、ようやく知りました。この石垣の隅の建築物は何だろう? 樅の丸覗のこの位置にはどの復元図を見ても、塀はあっても櫓のような建物は出てきませんが……
全て、立ち入り禁止区域になっていますので、柵の外からみるだけです。この写真の空堀カーブ箇所の、今はなぜだか石垣もみえてないですが、その上に、屏風櫓という二の丸の隅櫓があったはず。どうなった?
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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