一之城戸の石塁より高さも長さもずっと大規模ですが、長岩城はまだまだこんなものではありません。
これだけ見ても「おっ!」と思いますが、まったく序の口です。
一之城戸の石塁より高さも長さもずっと大規模ですが、長岩城はまだまだこんなものではありません。
こちら側の石塁は蛇のようにうねりながら土手を回り込み、斜面をまっすぐに登っています。
すっかり苔むしていますが、二之城戸の石塁よりもさらに長く、うねりながら斜面を登っています。
長岩城で最長の登り石塁です。竪堀とセットで斜面を延々と本丸まで続いています。
石塁で丸い空間を作っています。日本の城では極めて珍しい(長岩城だけの?)遺構だと思います。
とても小さく写っているのですが、写真中央やや右に、石塁の向こう側まで見通せる穴が開いています。つまり積まれた石の奥には土塁も裏込石もないのです。だから「石垣」と呼ぶよりは「石塁」、というわけです。
このあたりの石塁が最も高く、二段で2m以上に積まれています。
登り石塁の内側を登って虎口を通ると、本丸下の腰曲輪に入ります。ずっと下に砲座が見えます。
腰曲輪に入り、左に折れて進むと本丸への虎口があります。横に長い枡形のような形状に見えますが、腰曲輪はもう少し右に長く続いています。
腰曲輪の虎口の少し下で、登り石塁がジグザグと2回ほど折れて横矢をかける形になっています。
尾根道の両側に石塁が積まれています。
竪堀が道になっています。少々急な坂なのでロープが張られています。
洞窟(といっても奥行きは岩のくぼみ程度ですが)の前にも石塁で砲座が設けられています。
巨大な岩の前には砲座、そこから下る尾根の上にも石塁があります。
草木に隠れて見にくいですが、両側に岩の壁が迫っていて、どん詰まりの最高所にハシゴがかかっています。石積櫓を見るにはこのグラグラするハシゴを登って尾根上に出る必要があるのです。
ハシゴを登った尾根上にも石塁がありますが、両側が断崖となっており、何のために石を積んだのかよくわかりません。
ハシゴを登って尾根上に出たら、今度は少し短いハシゴを下ります。この通りの細い尾根で、ロープがあってもさすがに怖くてへっぴり腰になりました。
円形に石が積まれており、屋根がかかっていたという説もあります。穴が開いているのは銃眼とされますが、穴の向こうには隣の山しか見えません。切り立った崖の上なので、下が見えないのです。火縄銃の弾は隣の山までは届かないし、いったい何のための穴だったのでしょうか。
石積櫓の周囲には石塁はありません。細い尾根の上にポツンとあるのですが、石積の穴は尾根のほうを向いていません。尾根から攻め上られることを警戒して作られたのだろうとは思うのですが。
「陣屋跡」は谷間にあり、そのまま谷を登ると石積櫓の登り口、谷の両翼の尾根にこのような砲座と石塁が積まれています。
砲座はこのように円形の石塁でできています。そう高いものではありません。しゃがんで鉄砲を構え、下のほうの敵を狙うにはちょうどよさそうですが、数人しか入れない広さなので実戦に使えたのかはわかりません。
杉の落ち葉に覆われかかっています。
弓形砲座へは、石積櫓の尾根からは危険なので行かないようにとされています。いったん下山して、林道からこの場所を目指します。
弓形砲座へ登る途中にあります。
両側が崖の細い尾根ですが、ロープが切れたままで支柱だけを頼りに登りました。風が強いなど天候に恵まれない日は危険で登れません。
細い尾根上にあり、石積櫓のような円形に作れる広さはなく、少し弓形に曲がった石塁です。砲座の背後には兵士が詰めるような場所もなく、いったいどのような使われ方をしたのでしょうか。
この穴も、敵を狙えるような作りにはなっていませんね。
現場の山の険しさが伝わるでしょうか。
こんな細い尾根を敵に攻め上られることを警戒していたとすれば、やはり当時の九州は本当に厳しい戦場だったということですね。
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