八石城は南北朝時代に新田義貞の弟、脇屋義助の子である脇屋義治(新田義治)によって築かれたと伝わる城です。1375年(天授元年)頃、東北の戦いに敗れた義治が、四国・西国大将軍として派遣されていた父を追って伊予へ下向するもすでに急死していたため阿波へ退いて山嶽武士と呼応し築城したと言い伝えられています。八ツ石の名は城跡一帯に巨石が散在していることに由来するとも。現在城址には空堀や竪堀などの遺構を確認することができます。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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