お知らせ 詳細
見上げる様に撮影しました。
掛川市内の眺望です。
天正(てんしょう)18年(1590)山内一豊(やまうちかずとよ)が入城(にゅうじょう)する以前は、本丸(ほんまる)として使われていました。一豊によって城域(じょういき)が拡張(かくちょう)されると、天守閣(てんしゅかく)を配置する独立した曲輪(くるわ)になりました。 永禄(えいろく)12年(1569)徳川家康(とくがわいえやす)は、今川氏真(いまがわうじざね)の立てこもる掛川城を攻めました。この時、井戸から立ち込めた霧(きり)が城つつみ、家康軍の攻撃から城を守ったという伝説があります。 TENSYUMARU KIRIFUKIIDO
平成6年に木造で再建されました。
二の丸御殿に向かう途中、撮影しました。
二の丸御殿より撮影しました。
正保城絵図(しょうほしろえず)では、荒和布櫓(あらめやぐら)と呼ばれる見張りの櫓がありました。今ある建物は、嘉永(かえい)7年(1854)の大地震(だいじしん)以後に建てられた太鼓櫓(たいこやぐら)です。時刻を知らせる太鼓(たいこ)を置いていた櫓で、何回かの移転(いてん)の末、昭和30年(1955)に三(さん)の丸(まる)から移築(いちく)されました。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する