案内板によると、廣嶺神社境内の東側の石垣は往時のものだそうです。
団員さんのアップした写真を観て、池田恒興の墓が至るところにあるなあと思っていました。 恒興は小牧・長久手の戦い当時大垣城城主だったので、大垣にも存在しています。
恒興父子の墓は当初別の場所にありましたが、紡績会社の建設に伴いこの地に移されました。なお板碑は長久手産の硬質砂岩で造られています。
天武天皇の勅願所として白鳳年間に創立されました。 関ヶ原の戦いの前哨戦である杭瀬川の戦いに勝利した西軍の石田三成、宇喜多秀家が討ち取った東軍の30余人の首実検を行った場所です。のちに、この近くの橋は首実検橋と呼ばれました。
廣嶺神社は夕方17時になると施錠されてしまうので、大手門跡碑ならびに案内板を見学されたい方は早めの攻城をオススメします。
案内板によると、廣嶺神社の東側の水路は当時の堀跡だそうです。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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