陣屋設置の思惑が参勤交代の軽減にあるため防御性に乏しい縄張りですが、東側のこちらからは高低差があり要害らしさを感じられます。
東側(右側)下方に向けて、腰郭のように段差が続いています。石垣は当時のものか調べてみても検索出来なかったので、おそらく公園整備時のものと思われます。
解説板には「荻野山中藩」について記されています。 この周辺には、長屋があったようです。
陣屋公園の北側に隣接する畑が御殿跡です。(公園内からの撮影) 写真右奥には鬼門避けの稲荷社が見えます。
馬場は国道412号沿いに、矢場はその右側の石碑の辺りから国道に沿って伸びていました。 絵図を見ると厳密には、国道よりも写真右側方向に伸びていました。 どちらも薩摩藩浪士による焼き討ち時に消滅しています。
御殿の鬼門に配置されています。 公園内に記された絵図と比べると、全く同じ位置に敷地もほぼ同じ範囲で残っています。
当時の陣屋絵図に記されているうちでも、土堤、稲荷社と共に数少ない現存している箇所です。 稲荷社の前の道を東側に下っていったところにあります。今でも綺麗な湧水が沸いています。
田圃が広がる東側から見ると、台地上に築かれている事がわかります。 攻城時はこちら側からだと、要害らしさが感じられてお勧めです。
絵図によると写真中央の電柱から右方向に大手門がありました。 道路を境に右側が陣屋内で、写真奥に向かって陣屋が広がっていました。 幕末の薩摩藩浪士による焼き討ちは、台地側にあたるこの大手門から襲撃されたそうです。
神奈川中央バス・穴口橋バス停から徒歩約5分です。
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