観音堂は800年頃建立なので、松山城の築城より先にあったんですね。
秀吉の北条攻めの松山城落城で焼失、現在のお堂は江戸時代の再建です。
観音堂は800年頃建立なので、松山城の築城より先にあったんですね。 秀吉の北条攻めの松山城落城で焼失、現在のお堂は江戸時代の再建です。
観音堂をくぐると松山城に登れます。 かなりの急勾配 & 水が流れる足元の怪しい竪堀を登らなくてはならいようで…… ちょっと怯む(・_・;
各曲輪もきれいに整備されてて、ホッとできる空間です。 岩室観音堂からの登城でくじけず頑張った甲斐がありました◎ こちら側から登れば良かったんですけどねえ。
竪堀を強行進軍する前に、鎖を使って岩場に登ると岩穴の通り抜けができます。 『胎内くぐり』というそうで、くぐると安産とその他の願いが叶うそうです。 ハートの形がすごくキュート♡♡ (写真右のとこ)
竪堀強行すると倉のあった曲輪にでました。ここから隣の吉見百穴が見えます。
搦手口からの強行で、いきなり本曲輪を攻め落とせました! 意外と広々とした曲輪で周囲の街並みも見渡せます。 ただ、途中の竪堀登りで山城攻めの素人は挫折しそうになりましたが(・_・;
松山城はいくつもの曲輪がありますが、曲輪の間は空堀がしっかり掘られてます
やぶ状態の山のお城は苦手なので、ちょっと期待してなかったのですが、 必要最低限で十分な維持をしてくれてて快適な攻城でした。
搦手口からの攻城なので逆走です(・_・; 時期も良かったですが、しっかり整備されてて、曲輪から曲輪の移動が楽しいです。 当時はこんな簡単に空堀を渡れなかったとは思いますが。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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