「相模原の城館址・磯部城址想定図」によると、この辺りは堀の内といい、社殿奥には【土塁跡】と記されています。
社殿に貼られた由緒書きには、この辺りに磯部城があったことが記されています。
相模川散策路南側からの撮影。 解説板から写真右側(東方面)に長さ60m、幅10m、高さ2mの規模で残っているとの事ですが草木が繁り確認は難しいです。
南側からの撮影。 木が繁っている場所に土塁が残っています。 相模川の侵食により削られていますが、往時はもっと写真左側(西側)にまで土塁が続いていたそうです。
御嶽神社と共に磯部城の中心地と云われています。
「相模原の城館址・磯部城址想定図」によると、この辺りは堀の内といい、社殿奥には【土塁跡】と記されています。 社殿に貼られた由緒書きには、この辺りに磯部城があったことが記されています。
御嶽神社の社殿の左横にあります。 「堀の内」という城由来の名前が残っています。 社後方に土塁があったとの事ですが、確認は出来ませんでした。
御嶽神社の南東の下磯部集会所付近の道は、不自然に蛇行を繰り返し車の運転も大変そうな箇所でした。 神社南側には二重堀(フタエボリ)という地名が残っているらしく、蛇行した道路は堀跡と思われます。
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