(辨財天修復祈念の碑より)
此の辨財天は、古より当地至近の小高い山の上に祀られ、今区民はもとより近郷の人々に信仰されてきた。
その地は、菊池氏に仕えた鹿島氏の居城である戸崎城の物見櫓跡と伝えられ、北に八方ヶ岳を仰ぎ、崖下の菊池川は遥か西に伸び、眺望頗る良き処であった。
しかるに、まさに青葉若葉の日の光が煌めかんとする平成二十八年(二〇一六年)四月十四日、同十六日の二度にわたる震度七を超える熊本地震によりその小山の東側が崩落し、頂部の北側に亀裂が走り、辨財天の祭壇その他が損傷を受けた。
依って、今区民相集い協議の上、将来の地震台風にも耐え得る様、この地に場所を移して再建し御動座頂いたものである。
此の辨財天を崇め敬う今区民その他多くの人々に、末永く御慈愛賜らんことを切に願うものである。
平成二十八年 晩秋吉日
震災前とは城址の状況も大きく変わっているようですが、地域の方に大切にされていることがひしひしと伝わってきます。この日も3人の方が周辺を草刈りされていました
主郭跡と思われるこんもりした小さな丘。周りを腰曲輪がぐるりと取り囲んでいる
城址碑がある丘上の主郭跡は、直径10メートル程と狭い
主郭とは林道を挟んだ反対側(北側)にあり
(辨財天修復祈念の碑より) 此の辨財天は、古より当地至近の小高い山の上に祀られ、今区民はもとより近郷の人々に信仰されてきた。 その地は、菊池氏に仕えた鹿島氏の居城である戸崎城の物見櫓跡と伝えられ、北に八方ヶ岳を仰ぎ、崖下の菊池川は遥か西に伸び、眺望頗る良き処であった。 しかるに、まさに青葉若葉の日の光が煌めかんとする平成二十八年(二〇一六年)四月十四日、同十六日の二度にわたる震度七を超える熊本地震によりその小山の東側が崩落し、頂部の北側に亀裂が走り、辨財天の祭壇その他が損傷を受けた。 依って、今区民相集い協議の上、将来の地震台風にも耐え得る様、この地に場所を移して再建し御動座頂いたものである。 此の辨財天を崇め敬う今区民その他多くの人々に、末永く御慈愛賜らんことを切に願うものである。 平成二十八年 晩秋吉日 震災前とは城址の状況も大きく変わっているようですが、地域の方に大切にされていることがひしひしと伝わってきます。この日も3人の方が周辺を草刈りされていました
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