案内板の右上の説明板の内容 --- 魚津市指定文化財 記念物(昭和五六年七月二九日指定) 史跡 水尾城跡(みずおじょうあと) 魚津市の南部に位置する丘陵上(標高約三〇二m)に築かれた山城(やまじろ)で、松倉(まつくら)城の支城(しじょう)(出城(でじろ))の一つです。城跡があるこの丘陵には、北から升方(ますかた)城跡や南升方城跡、石(いし)の門砦(もんとりで)があり、水尾城跡の東方約一㎞の地点には、県下でも有数の規模を誇る松倉城跡があります。 水尾城跡は丘陵の細長い尾根上にあり、南北約三五〇m・東西約一八〇mの範囲に、五か所の空堀(からぼり)で区切られた四つの曲輪(くるわ)(郭(くるわ))を設けています。北側の曲輪が最も広く、西方に帯曲輪(おびくるわ)をめぐらせています。北から三番目の曲輪は、南北の両端に土塁(どるい)と石積みを配しており、最も堅固な守備を備えています。 水尾城の名が歴史上に登場するのは、南北朝時代の様相を記した『得田文書(とくだもんじょ)』の中で、貞和(じょうわ)二(一三四六)年七月、能登(のと)勢が水尾城や水尾南城を攻めたとあります。 平成二三年十月 魚津市教育委員会 ---
ここを進むと、標柱と案内板のところに出ます。案内板の右手の空堀下から進みます。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する