お知らせ 詳細
機種名 | SHARP 506SH |
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ISO | 125 |
F値 | 1.9 |
ホワイトバランス | オート |
シャッタースピード | |
レンズ焦点距離 | 4.2 mm |
フラッシュ | フラッシュ未発光、強制発光モード |
露出モード | 自動露出 |
露出時間 | 1/120 |
画像方向 |
太平洋戦争の爆弾着弾跡
太平洋戦争が終わりに近づくにつれ、日本各地でB29爆撃機などによる空襲が激しくなってきました。
小田原市でも、昭和二〇年四月以降終戦まで、たびたび空襲を受けました。
そして、戦争終結直前の八月十三日の午前八時三〇分ころ、小型機による空襲があり三〇名の犠牲者を出しました。このとき、新玉小学校(当時新玉国民学校)も攻撃を受け、若い教員一名と用務員二名が犠牲になりました。
この空襲で投下された爆弾のひとつが、ここ蓮上院土塁に着弾し、土塁が大きく破損してしまいました。
戦国時代に小田原北条氏が築いた土塁に、昭和時代の太平洋戦争の傷跡が残る大変貴重な場所です。小田原市教育委員会
第二次世界大戦が終結する二日前にここ蓮上院土塁に爆弾が着弾し、このように大きく損壊してしまったそうです。ここがその跡です。
大きな木が立っている所が蓮上院土塁で、写真右側の建物が新玉小学校、そしてこの道がかつて水堀だった所です。
写真左の茶色いフェンスなりに土塁があり、土塁にそって水堀がありました。今は見ての通り道路になっています。
写真左側に土塁があり、土塁にそって水堀がありました。今は見ての通り道路になっています。当時の水堀の形そのままです。
土塁と水堀を二重にした構造で、当時のまま残っているみたいです。かつての虎口は改変されて残っていないそうです。
石垣の部分、最近修復した感じですね。 ここが小田原城の9kmに渡る総構で一番いい状態で残っている土塁です。
写真右側の道はかつて水堀があった場所です。
写真左側が土塁で、窪地になっているところがかつての水堀跡です
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