二条城は藤田能登守信吉によって西方城の麓に築かれた城です。信吉はもともと上杉景勝の家臣でしたが、徳川家康と親交があったため直江兼続により追放されています。信吉は江戸の徳川秀忠のもとに逃れると、「関ケ原の戦い」後に西方1万5000石の所領が与えられ、西方藩の藩庁としました。しかし「大坂夏の陣」での失態により改易となり、西方藩の廃藩にともない廃城となりました。現在城址には土塁や空堀、竪堀のほか、石積も確認することができます。登城口は開山不動尊にあります。また近くの実相寺には信吉の墓所があります。
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143 m( 50 m)
内郭:-- 外郭:--
藤田信吉
着工 1601年(慶長6年)
1615年(慶長20年)
藤田信吉
曲輪、石積、土塁、空堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 143 m( 50 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 藤田信吉 |
築城開始・完了年 | 着工 1601年(慶長6年) |
廃城年 | 1615年(慶長20年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 藤田信吉 |
遺構 | 曲輪、石積、土塁、空堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/25 03:54:33
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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