大関城は畠山重忠の末裔である畠山重康によって築かれた城です。1526年(大永6年)12月に東金城主・酒井隆敏に攻められ落城、重康は上谷常福寺で自決して畠山氏は滅亡しました。現在城址には大関神社の境内となっており、また東金九十九里自動車道の開通工事により遺構は残っていません。なお「依古島(よこじま)」の地名のとおり、かつてこの周囲は低湿地帯に囲まれていたそうです。
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読みました。2日で。あっという間でした。
歴代将軍を並べて読んでみると、いつの時代も権力闘争なんだなぁと思いました。そういった意味では鎌倉時代や室町時代に比べて江戸時代はまだ安定していたんですね。
室町は勘合貿易をやめてしまったあたりから、江戸は米価が下がりはじめたあたりから、将軍としての権力が弱まったように感じました。将軍家経済基盤が弱くなる→権力無くなる→倒幕に向かうみたいな感じ?
あと、鎌倉幕府vs朝廷で戦してたんですね。幕府が勝ったのなら何故朝廷を滅ぼさなかったのか、疑問も残りました。
どんな将軍だったかを知ることもできました。将軍という視点から日本史をおさらいする感じで楽しめました。
思ったこと並べたら長文になりました。すみません。次回はどんな切り口で来るか楽しみです。
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