重富駅から平松城址(重富小学校)を経由して攻城。城址は正面の岩劔山山頂(標高225m)。戦闘にはじめて鉄砲が使われた城といわれています。
岩劔山の麓にある岩劔神社。この地での合戦に勝った島津氏が手厚く庇護したそうです。境内に菅原神社や島津義弘公 腰掛の石があります。駐車場や登山口につながる林道は左側。
岩劔神社の横から林道を登っていくと登山口の案内板があります。ここが大手入口。道は広くないので車は岩劔神社の駐車場に停めましょう。ここまで徒歩10分ぐらい。
大手入口の案内板。険しい山ですが、等高線が詰まっている左側ではなく右側を登ります。小さな沢を渡ったり、石がゴロゴロして歩きにくいのでしっかりした靴がいいですね。
分岐を左に進むと山頂の曲輪10に到着。奥にもう二段高い部分がありますが曲輪ではないみたい。姶良平野を見渡せる展望スポットは左側にあります。
曲輪10からの展望スポットから姶良平野を見渡すことができます。この空間は東側に開けているので、南側の桜島は残念ながら見えませんでした。
曲輪10から登山道の分岐点まで戻り反対側へ。こちら側は石垣や土塁などの遺構がいくつも残っていて見どころが多いです。
本丸跡にある案内板。描かれている曲輪は22か所、空堀は10か所。残念ながらこの先は通れないようロープが張られていて、空堀をわずかに見下ろせるのみ。ここで撤退です。
石積みが多く残る土塁跡。他の曲輪にはこのような堅固な土塁が見つかっていないため、ここが本丸跡だと考えられているようです。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する