給黎城は肝付氏の居城として知られています。もとは伊作有通(給黎有通)が三つの半島状台地を利用して築いた城で、中央の本城と南北にそれぞれ北之城、南ヶ城と呼ばれる曲輪を配していました。有通は給黎氏を称して代々の居城となりましたが、1411年(応永18年)に伊集院頼久の所領となり、さらに1414年(応永21年)には島津氏8代・島津久豊が相良氏の援軍を得て攻略しました。このときに地名を喜入に改めたとされます。その後、1595年(文禄4年)に肝付氏が入城し、1653年(承応2年)に肝付兼屋が海岸付近へ居館を移転したため廃城となりました。現在城址には土塁や空堀などの遺構が残り、また城下町に流れていた水路が現存しています。
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66 m
内郭:-- 外郭:--
給黎有通
着工 建久年間(1190年〜1199年)頃か
1653年(承応2年)
給黎氏、伊集院氏、蒲生宣清、喜入氏、肝付氏
曲輪、土塁、空堀、石垣
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 66 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 給黎有通 |
築城開始・完了年 | 着工 建久年間(1190年〜1199年)頃か |
廃城年 | 1653年(承応2年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 給黎氏、伊集院氏、蒲生宣清、喜入氏、肝付氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀、石垣 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/20 03:53:20
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 南方神社に駐車場あり |
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